君、問うや 夢の狭間で



―― 気が付いたら、随分懐かしい光景だった。

「・・・・ここ・・・・」

花が見回した視界に広がるのは、スチールと合板で出来た机が整然と並べられた空間。

部屋の片面は窓張りで少しくすんだ窓ガラスからは燦々と日差しが降り注いでいる。

机の並ぶ先には壁一杯の黒板だ。

どこか懐かしい匂いのするそこは、教室だった。

「懐かしい・・・・」

思わずそんな言葉が口から零れる。

そしてまるで卒業生が母校に帰ってきた時にでも言うような言葉に、花は自分で苦笑した。

それはそうだろう。

だって花は、本来であればまだここで毎日を過ごしている歳のはずなのだから。

授業は少し退屈で眠いときもあるけれど、試験対策に一生懸命ノートを取って、休み時間や放課後には他愛もないおしゃべりをして・・・・そんな生活をしているはずだった。

「あ、私、制服だ。」

ふと自分の今の姿に目を落として花は呟く。

少し前から着なくなっていたカーディガンとシャツの感触が、これまた少し懐かしかった。

(・・・・席、何番目だっったっけ?)

なんとなく、花は机を数える。

(確か真ん中辺だったんだよね。サボれない場所だねってかなにからかわれたっけ。)

別にサボったりなんかしないもん、と負け惜しみを返した記憶が蘇って花は小さく笑った。

コツコツっとリノリウムの床をローファーが踏む音がその微笑みに輪をかける。

もうはっきりとは思い出せないけれど、この辺かな?と当たりをつけた机に花は腰を下ろした。

懐かしい視界、懐かしい場所。

(・・・・ああ、これは・・・・)

花が答えを見つけようとした、その時 ――

「楽しそうだな。」

「!?」

不意に背中からした聞き覚えのない声に、花はビックリして振り返った。

そしてそこに立っている人の姿を見つけて、ますます目を丸くする。

花の二列後ろの机に無造作に一人の青年が腰を下ろしていた。

が、その人は教室の風景にまったく異質だった。

何故なら、彼の格好は花が知っている「もう一つの世界」の物だったから。

そして彼もそれに気が付いているのだろう。

物珍しげにあっちこっちを見ながら言った。

「異世界の娘ってのは本当だったんだなあ。」

疑っていたような物言いなのに、けして陰湿な響きを感じさせない声に、花は目を細めた。

目の前の机に座る青年は花にとっては知らない人だ。

―― でも、知っていた。

名乗られなくても、彼が誰なのかを。

だから花は少し困ったように微笑んで言った。

「なんで異世界から来たって知ってるんですか?」

「ん?そりゃ、あいつがうるせえからさ。」

その人は呆れたように、けれどどこか楽しげに笑った。

「住む世界が違うから好きになったところでどうしようもない、とか、どうせ帰るつもりだ、とか言い訳を俺に向かって列挙してたかと思えば、最近じゃちょっとしたことで元の世界が恋しいんじゃないか、とかそんなんばっかりだぜ。」

「は、はあ・・・・すみません。」

ここは私が謝るところなんだろうか、とは思ったけれど、緩んでしまった頬を謝罪するつもりで花はそう言った。

その表情をどう捉えたのか、彼は口角を上げて花を覗きこむ。

「どうした?幻滅したか?」

「そう、見えます?」

「いや、全然。むしろ嬉しそうだな。」

「そうですね。嬉しいです。」

今度ははっきり顔に出して花は笑った。

「そんな事、考えてくれていたなんて初めて知りました。」

「まあ、あいつは色んな事考え過ぎるせいで口から出る時はねじ曲がってるのがほとんどだからなあ。」

お前も苦労するな、と笑いかけられて花は少し迷ってから、首を振るのはやめて言った。

「慣れました。」

「!っははははっ!!そうか!慣れたか!」

予想外の事を言われたというように、声を上げて笑う青年に花も笑う。

そして笑う彼を見ながら密かに思う。

ああ、なるほど。「あの人」とは正反対だ、と。

「あの」

「ん?」

笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭っている青年に、今度は花が話しかけた。

「どうして、私に会いに来たんですか?」

(もっと貴方に会いたがっている人がいるのに。)

夢でも、幻でも構わないから一目だけでも、とそう思っているだろう人を知っているからこそ出た言葉だったが、それを聞いた彼は困ったように言った。

「あいつらは色々考え過ぎてて逆に会いにくいんだよ。恨み言ならいくらでも聞きに出て行ってやるが、泣かれるのはちょっとなあ。」

ガリガリと頭を掻く仕草に、花は眼を細めた。

正反対だけど、こういうところはあの人と似ている、と。

(本当はとっても優しい。)

「まあ、今回はあんたに会ってみたかっただけだし。」

「私、ですか?」

「そう。」

きょとんっとする花を見ながら青年は組んだ膝に頬杖をついて花を見つめた。

青みがかった瞳の真っ直ぐさに花は少しドキッとする。

「なん、でしょう?」

「いや、こうしてみると、あんたはごく普通の女なのにな。」

「?」

「知ってんだろ?あいつ、結構女に好かれやすいんだぜ。」

「あ、はい。」

「俺が知ってるだけでもあいつに熱を上げたり、少しだけ相手をしてもらった女は手の指の数じゃたりねえ。」

「・・・・・」

あけすけな物言いにさすがに花も口元を引きつらせた。

(そ、それはわかってるけど・・・・)

下降線をたどる感情を隠しきれずにいると、青年はにやにやと面白そうに笑った。

「妬けるか?」

「そりゃあ・・・・まあ。」

「ま、そうだろうな。でもな。」

仕切り直すように言葉を切って、彼は花を見据えた。

「あんただけだったな。」

「?」

「あいつが臆病で弱くて、優しい・・・・なんて言った女はさ。」

だからあんたに興味があった。

そう言って青年は笑う。

たくさんの女が彼を見つめて見抜けなかったことを、何故、花だけが見つけられたのか。

そんな問いの答えを花に求めるあたりが、この人らしいのだろう、と花は思った。

だから花は花の考え得る限り、誠実な答えを口に乗せた。

―― やっぱりどこか、「あの人」に似て死しても尚、親友を気にかける優しい、彼に。

「それは・・・・・・―― 」















―― 目が開いてまっ先に見えたのは、青銀色の髪と穏やかな漆黒の瞳だった。

「・・・・・・」

「おはようございます。」

目に映る光景をただぼんやりと眺めていると、柔らかい声が耳をくすぐった。

その声がやけに甘く感じて花は首をすくめそうになる。

いつからこの人はこんな声で語りかけるようになったのだろう。

出会った頃は散々柔らかい物言いの中に潜んだ棘痛い目を見させられたのに・・・・と思ったところで、花は自分のとりとめもない思考に自嘲した。

いつから甘くなったか、なんて決まっている。

この人と ―― 公瑾と恋人として暁を迎えて初めて知ったのだ。

おはようございます、と甘く甘く囁く声音を。

「おはようございます。」

大分遅ればせながらの返事を返せば、公瑾が目を細めた。

「今朝はいつにもまして寝ぼけていますね。何か夢でも見ましたか?」

口調だけはいつものように。

けれど、この上なく愛おしそうに花に貸していない方の手で髪を撫でられてその感触に花はうっとりとしながらも、公瑾の言葉を緩く反芻する。

(ゆめ・・・・)

夢。

懐かしい、懐かしい場所。

学校と教室と・・・・それとはまったくそぐわない、金色の髪の青年。

(ああ。)

ぽっと、大切なものを胸の内に預かったような温かさに、花の口から自然と笑みがこぼれた。

「ふふ」

「?どうしたんです?楽しい夢だったのですか?」

「楽しいって言うか・・・・ああ、でも。」

不思議そうに見返してくる公瑾に花は笑った。

「確かに文台さんに似てました。」

「は?」

まったく理解不能な事を言われたように公瑾がきょとんとする。

その他ではけしてみせない無防備な表情が愛しくて、花は公瑾の頬に両手を伸ばした。

挟むように触れれば、公瑾が釈然としない顔をする。

(・・・・こんな顔をみんなは知らないんだろうな。)

公瑾はいつも何事にも動じないかのように穏やかな微笑みを浮かべているから。

だから。

『あんただけだったな。あいつが臆病で弱くて、優しい・・・・なんて言った女はさ。』

ふと、ほんの少し前に聞いた声が花の脳裏に蘇る。

(ちゃんと答え、言えたかな。)

夢の淵で最後に彼の疑問に答えられただろうか。

それだけがとても気になったので、花は言っておくことにした。

・・・・きっとどこかで公瑾を見守っているに違いない「彼」に聞こえるように。

「公瑾さん。」

「はい?」















「私は公瑾さんが好きです。公瑾さんの事を好きな誰よりも。弱い公瑾さんも、臆病な公瑾さんも、優しい公瑾さんも、ずーっと、ずーっと、ずーっと見てますからね。」















「・・・・・・・・・・・はい?」

思考が停止したように目を丸くする公瑾と。

ものすごく満足げに微笑む花と。

―― 暁の陽残った夜の名残の夢の彼方で、「当てられた」と笑う彼の声が聞こえた気がした・・・・















                                                   〜 終 〜





















― あとがき ―
ちょっと伯符兄上を出してみました(^^;)
なんかグダグダな感じですいません。